「スリースリー」 シェフ、高岸光雄さん 記事をアップしました
客船のコックとして世界を回り、姫路で開店。/「スリースリー」 シェフ、高岸光雄さん
客船のコックとして世界を回り、姫路で開店。/「スリースリー」 シェフ、高岸光雄さん
|姫路・小姓町生まれ、東二階町育ち。 高岸光雄といいます。生年月日は昭和3(1928)年7月の6日、辰年です。船場のお寺あるでしょ、御坊さん。あの北側に、小姓町いうてあるんです、そこで生まれました。5、6歳のときに東二階 …
昭和30年ころの思い出② 荷馬車で遊んだ頃
昔は、荷物を運ぶ馬車をよく見かけました。 御者(ぎょしゃ)のおじさんが手綱を握り、馬のすぐ後ろに座っていました。子どもたちは、通行中の空車を見つけると、合図をしあい、通過するのを待って、そっと荷台に近づき、低く隠れてしが …
二股アベマキの話
岩端(いわばな)町にある御前山(ごぜんやま)広場。この広場は隣にあるアカツチヤマにつながっていて、山の斜面は子ども達が上り下りして遊ぶ人気のスポットだ。 その斜面に、根元から二股になっている立派なアベマキが5,6本はえて …
昭和30年ごろの思い出①
私は、戦争を知らない団塊世代。私が姫路市岩端(いわばな)町に住み、城西小学校に在学していた1955~1961年ごろ(昭和30年ごろ)、界隈の様子や生活はどんなだったかなと思い出してみました。 遊び場所は、名古山(なごやま …
<城の西>から姫路に行く
私は姫路市外で育ったので、姫路駅前に出かけることを「姫路に行く」と表現していた。どうやら、姫路市内に住んでいる人も、同じように「姫路に行く」と言うらしい。 私の場合は、山と田んぼの田舎から、片道30分以上かけて車や電車で …