昭和30年ころの思い出② 荷馬車で遊んだ頃

昔は、荷物を運ぶ馬車をよく見かけました。

御者(ぎょしゃ)のおじさんが手綱を握り、馬のすぐ後ろに座っていました。子どもたちは、通行中の空車を見つけると、合図をしあい、通過するのを待って、そっと荷台に近づき、低く隠れてしがみついて、最後部にぶら下がります。

さらに、3人ほどで馬車を押したり引いたり。すると、引く重さが急に変わるため、馬の歩調が大きく乱れます。馬が何かに驚いたのかと思ったおじさんは「ドウドウ」となだめながら後ろを見ますが、荷台にぶら下がった子どもたちは荷台の下に隠れているので見えません。何度も繰り返すうちに見つかってしまうので、叱られるスリルを味わっていました。叱られると言っても「コラ!」、この程度でしたね。

当時は信号もないから、馬の歩調は一定で、馬任せの自動運転のようでした。だから、おじさんは居眠りもしていました。

ただ、この遊びには危険がありました。馬が前方で糞をしても気が付かず、落としたてほやほやの温かいものを踏んづけたり、靴が糞に埋まって脱げてしまうこともありました。そのたびに小川で洗って、すぐに履いたものです。

馬車に大きな荷物が積まれているときは、子どもたちにとって絶好の遊具と化し、勝手に、ランドセルだけを荷台に乗せていました。そのまま、子どもたちは別の遊びに夢中になってしまうことも多く、馬車が家を通り過ぎてしまって、遠くまでランドセルを取りに行ったこともありました。

荷馬車の出入りは主に、現在はマックスバリュ 城の西店がある場所に建っていた米谷紙管製造株式会社でおこなわれていました。

 

*文章提供:1948(昭和23)年生まれの父

米谷紙管製造株式会社の工場があったところはこちら(「城の西まぐMAP」googleマップが開きます。)

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