おばあちゃんの家は、南北に長かった。立て付けの悪い南の門(引き戸)をゴトゴト開けると、土かコンクリートかわからない通路があって、左側に植木鉢が並んでいた。右側には庭があり、木の塀があって通路からは見えなかった。
玄関の戸を開けると土間があり、冷ややかな空気が流れていた。土間をまっすぐ行くと、家の一番北にある台所に通じていて、その途中に部屋へ上がれるふすまがあった。ふすまを開けるといきなり、こたつに入ってテレビを見ているおじいちゃんの姿が目に飛び込んでくる。
玄関ホールも廊下もない、2階もない家。「となりのトトロ」のサツキとメイの家みたいに、どこかに階段が隠されているのではと何回も探したけれど、やっぱりなかった。2階建ての家しかないと思っていた当時、どうして2階がないのかと尋ねると「大工さんが作り忘れたから」と言っていた。そして、私は納得していた。
おじいちゃんと話していると、奥の台所から、おばあちゃんがお茶をお盆にのせてやってくる。「あなたも、おばあちゃんが遊びに行ったらこうやってお茶を淹れてよ」と、何度か言われた。
おばあちゃんの家の間取りは古かった。土間を奥へ進むと、今でいうパントリー(キッチン近くの収納スペース)みたいな場所があった。窓がなく、暗くて寒い場所なので、いろいろ保管するには好都合なのだろうけど、子どもにとっては怖い場所だった。
パントリーを通り過ぎると、靴を脱いで台所へ上がることができる。ほぼ地面の高さなので、めちゃくちゃ寒い。コンクリートに薄いじゅうたんを敷いたような感じだった。左側には、餅つきの石臼のような触り心地の流し台があり、正面にガス台、右手に作業場(缶詰や乾物など、とにかく物が積んである)があった。
流し台で水を流すと、壁と床の境目にある小川を通って家の外へ流れて行った。今でいう排水用のパイプが床の上にあり、それが小川のように丸見えだった。私はそれを見るのが楽しみで、「おばあちゃん、水見たいから、まだ流したらあかんで」と家事を邪魔した。ときどき、笹舟で遊ぶみたいに、何かを流したような記憶もある。
ガス台の奥には、小上がりの食事室があった。4畳半ほどの部屋で、東側に食器棚、テレビ、ごはんの残りを入れておく棚、北側に孫の写真やカレンダーなどの掲示物、西側には、ふだんはあまり使わない台所道具が並ぶ棚、冷蔵庫、炊飯器があって、部屋の中心にちゃぶ台があった。小上がりの高さは50cmほどで、「ヨイショ」と足に力を入れて上がらなくてはならない。それがこの建物の本来の床の高さであり、台所は地面の高さなのだ。なぜか、ダイニングに冷蔵庫や食器棚、炊飯器があり、用事があるたびに大きな掛け声をかけながら上り下りしていた。
お風呂とトイレはあったけれど、一番端っこの、渡り廊下でつながっているような感じの場所にあった。洗面所と2層式の洗濯機は、庭の横(屋外)にあった。縁側には足踏みミシンが置かれていて、ペダルを踏むのが楽しかった。いつ建った家なのかわからないが、父が3番目の末っ子で、昭和23年生まれだから…昭和初期の家としては画期的だったらしい。
夜になると、おばあちゃんが歯を磨きながら言っていた。「ここ(南の庭に面する縁側)から毎日、三日月が見えるんや。毎日やから不思議に思って、よう見たら、ジャスコ(JUSCOのネオン)のJやったねん」というおトボケも、今になってじわじわくる。
おじいちゃんの出番が少ないが、おじいちゃんはおじいちゃんの世界にいたな。
おばあちゃんの家はこちら(「城の西まぐMAP」googleマップが開きます)
(ライター:misty)