prologue

まえがき

<城の西>に住む70代の方々は、子どものころ、八丈岩山でウサギを追っていたそうです。そして、晩ご飯のおかずにと、小学校の裏の小川で鰻を取ってくるよう親から言いつけられていたのだとか。そのころの<城の西>界隈の写真を見ると、一面に田んぼが広がっていて、子どもたちは船場川やお城の濠で泳いでいたといいます。

また、姫路城の西側に位置する<城の西>エリアには、かつては城主に仕える武家や商人の家が建ち並んでいました。明治期に入ると、西国街道沿いの龍野町周辺が城下でもっともにぎわう商業地となり、数多くの商家が建ち並ぶように。

昭和の時代になっても、その面影は色濃く残り、醬油蔵・酒蔵・糀屋・魚屋・八百屋・和菓子屋・畳屋・建具屋・布団店・床屋・燃料店・煙草屋などが商いを続けていました。商売人やものづくりの職人がおおぜい暮らし、そのまわりに広大な田んぼや畑を耕す農家の人々が住んでいました。

<城の西>には、そのような、なりわいとなる生産手段を身につけた中産階級、いわゆる町衆が地域で循環する経済を支え合い、祭りや村落活動で共同体を維持していたのです。

まちには、町衆や農家が労力、時間、資材を持ち寄り運営する「自治」と、土地には入会地(いりあいち)とよばれる「共有地」があって、まちを協働運営していました。このような、だれのものでもない共同所有・管理の土地や里山、川などのことを「コモンズ」と言います。

戦後、資本主義にもとづく都市の発展にともない、<城の西>の住民の多くは自営から技術、生産手段、農地を持たない無産階級へと移行し、共有地は私有地へと分解され、細かく切り分けられて所有されることになりました。こうして、住民自治の担い手も、生産手段のひとつであった共有地もあらかた消えてなくなるとともに、コモンズが解体、私有化され、行政が管理運営する「自治」の果たす役割が大きくなっていきました。

以上が、かつての<城の西>から現代の<城の西>への変容の大まかな流れであり、日本各地のまちで起こったできごとです。

とはいえ、古き良き風景がすべて消えたわけではなく、家屋と店舗とマンションとアスファルトとコンクリートで覆われた現在の<城の西>でもときどき、歴史や文化の裂け目を見ることができます。

男山の祭りが最高潮に達した一瞬、どこへ向かうのか分からなくなった瞬間。そんな自分をうつつに呼び戻すかのように鳴り響く、拍子木の音。解体された古い家屋跡に垣間見える、黒々と肥えた土。ミミズやハサミムシがうごめく豊かな土壌に繁りゆく雑草。手入れに手間がかかる生きた土に急いでバラスを敷き詰め、ふりまく除草剤…<城の西>でうごめくマグマが見え隠れするのは、意識していなければ一瞬で消え去ってしまう、そういう瞬間です。

いま、まちの風景を一変させた都市の開発は、時間や労働や地域からの阻害を生み、資本主義の限界の壁にぶつかってクラッシュしつつあります。資本主義のつぎの世界の到来が待ち望まれている。まちの至るところで目をこらし、裂け目から見えるマグマをすくい上げていくこと。<城の西>に住む人たちが、自分がほんとうに求めているものを思い出し、新たに発見し、<城の西>で生きるこころゆたかな暮らしや本当の自分を呼び覚ますことが、このサイトの目的です。

小商いや職人の魂、技。畑や小川、旧道、鎮守の森・腐葉土やたき火、カブトムシの幼虫が息づく、暮らしのなかのあわいと裂け目を楽しみながら、ていねいに拾い集めたい。

人と、土と、水と、緑と、光と、まちと、歴史と、伝統と。そして、未来と。世間や社会に流されることなく、だれもが自分らしく生きられる、様々なつながりが生み出す豊かさを分かち合えたら最高です。