自宅のはなれの、小空間から広がる世界。/「あさのは商店」 店主、篠原玲子さん

|始めたのは、場所があったから。
2012年4月にオープン。自宅のはなれを使ってお店を始めようと思ったのは、場所があったから。そのままお店にした結果、靴を脱いで、室内で商品を見ていただく形になりました。お客さんはみんな、あら、いい感じ!って。畳やし、ふすまや天井も変わっとうし、素敵って言うてくれてです。そんなに手を入れずにしたので、意外に受けた感じです。

庭も、何もしてないです。ごちゃごちゃしているのも片づけるべきなんですが、挫折して、まぁええかと。それでお客さんが増えるとも減るとも思われへんから、汚いと思われへん程度にしとけばいいかと。さくらんぼは、子どもの頃に植えました。実がなったら楽しいねって。ブルーベリーは、お店を始めてからかな?実がとれたら楽しいってね、ジャムとか作りたいし。柚子を植えたのは、去年くらいです。庭もきれいにしとってですね、ってよく言われます。自然な感じで、窓から見えるのもいいねって。もとが恵まれてたんですね。お父さん、ありがとう。

|こういうお店は、なかなか無かった。
2011年2月に、会社をやめたんです。体がしんどかったこともあるし、親の仕事を手伝いたい、と思って帰ってきたんです。帰ってきて、いろいろ動いて考えた結果、やっぱり手伝うのは止めにして、家のごはんをしたりすることで母を助けることにしたんです。でも仕事を辞めて帰ってきたし、これからどうしよう、と思って。

会社におるときから、パンやジャムを作って人にあげたり、100円くらいで売ったりして遊んでたんです。それで、パン屋かジャム屋か、と思ったりもして。でも暑いのが苦手やから、パン屋は夏場無理やろ、と。ジャム屋も徳島におったから、いっぱい柑橘があって、わーいわーいと楽しく作っていたけど、ここで私がジャム屋をするモチベーションはなくて。

ある日、お風呂に入っとう時に、はたと思いついて。私ができるのはこれじゃないか!って母に言うたら、あ、ええやんか、ええやんな、って感じで。なかなか無かったんです、こういうお店。徳島におった時、冷え取り専門店があってね。冷え取りが流行ってへん時に、靴下の重ね履きとかシルクの商品とか、しめつけない下着、あ、ここで売っとうブラジャーもその時買ったやつです。めっちゃ絞った店やったのに意外に流行ってるし、私も好んで行きよったし。こんな店があり得るんや、需要があるかも、と思ったんですよ。でも思うほど、バンバンお客さんが来るわけではなかったけどね。

|人生は明るい、と思えるように。
ここに引っ越ししてきたのは、小学校2年生の時です。おとなしい子で、今のように誰とでもしゃべれる感じではなかったです。小さい町内に同じ年の子が3人いて、その子らとは仲良うできてましたけど、それ以外はあんまり。静かな子でした。学校の勉強は、ようできました。なんせ真面目やった。算数や理科よりも国語や図工、絵が得意でしたね。体育が全くできなかったです。

中学校は、暗黒時代と呼んでいて。春休みに入院して、アトピーでかゆいまま、学校に入ることになりました。なんせかいかったから、夜寝られへん、起きられへん。学校もめっちゃ遠くて、歩いて40分くらいかかりました。ここは校区の端っこなんですけど、競馬場のとこまで。なんせ遠くって、週の半分くらい休むこともありました。

中学3年生のゴールデンウィークに、高知にあるアトピー治療で評判の病院に知り合いの人が行って、「治ったで、篠原さんのところも行ってきたら?」って母に勧めて。一か八かみたいな感じで家族旅行がてら行って、私と母だけ10日くらい滞在して、劇的に治りました。特殊な薬を塗って、ぐるぐる巻きにするんです。毎日。「おお、人生は明るいぜ」ってほんまに思って。それからは学校も朝から行くようになったし、勉強ができるようになりました。それまでも真面目やったけど、ちゃんと授業を受けられなくて。勉強ができる!勉強したらテストの成績があがる!それがめっちゃ面白かって。良い時に、治療に行けたんです。

高校に入学したら、いい人ばっかりだったんです。運動会も文化祭も「みんなでがんばろう!おー!」ですよ。すくすく育ったような子が多くて、人の悪口とかも言わない。色んな人がいたけど、みんな真面目なのが良かった。人生が楽しくなりました。

|通っていた大学の隣の女子大で、猛勉強。
大学もすごく楽しかったです。方言の研究がしたかったけど、社会言語学で有名な先生がおっての大学は落ちて、別の大学に行ったんです。言葉の変化が勉強したかったんですけど、そこは一般的な言語学の授業しかなくて。それが、3年生の時に単位互換制度が始まって、行きたかった大学に行けることになりました。そしたらすごく面白くて、同じことに興味のある仲間がいっぱいおるし、学生も多いし、もう、ここに行かなければ、と思って。

すごいがんばっていた時期で、通っていた大学の隣の女子大に社会言語学の先生がおって、目標にしてた大学の博士課程の人も講義をしに来てたんです。女子大の先生が親切で、その先生と院生の人が世話してくれて、がんばれました。女子大のゼミとって、キラキラしたお姉さんたちと一緒に授業を受けたり、私は潜りやのに一番前の席で聞いてました。フィールドワークに一緒に行ったりしましたけど、キラキラさんたち、見た目ほどこわくはなく、いい子たちでした。恵まれてましたね。そのあと、志望していた大学院に進学しました。

|こんな仕事があるんや、と就職。
院の進学は2月、3月くらいに決まるんですけど。その年の3月、家で新聞を見ていたら、真ん中ぐらいを開けたところに一太郎の広告がバンと載ってたんです。「言葉が変わり続ける限り、一太郎は進化する」っていう気合いの入った広告で、わぁすごい、この会社!と思って。こんな仕事があるんや、と。その時はコンピューターに興味がなかったから、一太郎は名前しか知らなかったんですけどね。ATOKという、かな漢字変換ソフトが方言対応したよっていう広告やったんです。だから、ここに行きたいと思っていた。

研究室にいる人たちは、すごかったんです。興味もすごいし、勉強するエネルギーもすごいし、私はそこまでの疑問は持てなかったし、そんなに本も読めへんかった。専門書も集中して読めなくて、これずっとは無理やなと思って、そこに就職しました。方言対応ソフトの開発は、私が入る前にいったんは終わってたんですけど。そのメンテナンスをしたり、パソコンの機能を携帯に移したりしてました。

|よその土地より、姫路へ帰ろう。
仕事は楽しかったですよ、けど、きりがないんです。ATOKの辞書を作る仕事をしていました。したいと思って行ったんですけど、新しい言葉が出たらそれを入れるとか、誤変換を直すことを日々やっていて。毎年、製品を出すたびに新機能をつけなあかんのですけど、そんなん誰が喜ぶねん、と思うようなのを一生懸命つけてね。けっこうええ給料やったんですけど、これは誰が喜んでくれて、私はお金をもらいよんやろう、って。そういうのがずっとありました。

同僚はいい人たちやったし、生活も面白かったですね。メンバーがみんな仲良しで、いい会社だったんですよ。でも6年おったけど、その半分ぐらいは悩んでいました。それと比較すると、今の仕事はお客さんの反応が見えるのが嬉しいです。わかりやすいしね。

辞めようかどうしよう、って思っていた時に、今も注目されてますけど、徳島の神山町によく行ってたんです。ワークショップがあって、いろんな人が移り住んできたりしていて。結構な田舎なんですよ、山の中で。だけど、こんなに面白い。当時、姫路はそんなに面白いところだと思ってなかったけれど、帰ったら帰ったで、結構楽しいんちゃう?と思うようになりました。徳島市内から神山に移って仕事をすることもできたけど、よその土地でするのはなんか変やな、それやったら帰った方がいいな、って。


|喜んでもらえるのが、一番嬉しい。
帰ってきてからはね、割と元気です。店をしていて良かったと実感するのは、かゆい人にしろ、下着の締め付けが嫌な人にしろ、良かったわ、あれ、すごく良かった!と喜んでくれるのが一番嬉しいです。

お客さんは同世代以上ですね。若い人は、やっぱり締め付けてもきれいなブラジャーやかわいいパンツがいいでしょうから。30代以上、60代も来られますし、80代のおばあちゃんも来ますよ。今後、結婚して、子ども産んで育てることがあったら、それを活かして続けていけたらいいなと思うし、自分が年重ねていって、今はわからない中高年の困りごとが分かるようになったら、もっと商品を充実できたらいいなって思います。

|色んな「たまたま」が重なって。
ここが自宅やから、私はこの場所でお店をしてますが。姫路を離れて長かったし、母に相談するしかないくらい、仲間がいない状態で始めたんです。

店を始めるほんのちょっと前、庭の外の花壇に枯れた切り株があって、抜こうと思って掘ってたんです。そこへたまたま、夕雲舎の池島さんが通りかかって。池島さんは、私がまだ会社員で仕事に悩んどう時に、奈良の図書館であった西村佳哲さんの仕事について考えるセミナーで会うたんです。後ろのお兄さんが、隣の席の人と灘のけんか祭りの話をしてたんです。「僕、姫路なんです」て。で、「私も姫路出身なんです、どうも」みたいな話して。

姫路に帰ってきたら、大手前通りとかで会うわけです。「あ、どうも」「どうも」みたいな感じで、2〜3回会うて。その池島さんが、自転車で通りかかったんです。「あ、篠原さん何しよん?」て。「ここで店をするんです」って言ったら「近所で僕の友達が料理教室を始めるよ」って、yukashiさんに紹介してくれて。たまたま同じ日がオープンで、お客さんも重なってね。すごいでしょ。

|みるみる、人がつながっていく。
それで、yukashiさんと一緒にサンデーマーケットを始めて。その関係でcoboto bakeryさんと知り合ったし、右田農園さんとか農家さんとも知り合ったし。

それとは別に、同じ年にPARLAND COFFEEさんができたんです。私と同じ時期に辞めた先輩が高知でイベントに参加した時、パーランドさんに会ったらしくて、「近くなんちゃう?」ってメールくれたんです。「ほんまや、めっちゃ近所やわ」って言っとったら「これからオープンするんです」って、オーナーさんが会いに来てくれたんです。つながっていって楽しいな、と思いました。

neccoさんも、そんなんで出会ったんですね。soraliさんも、ままやさんの2軒隣でしよったったけど、yukashiさん経由で知ったり。家があっただけの場所にお店ができて、野里商店街もうどん屋・麦さんができたり、ここ数年で盛り上がってきました。朝市するようになったりして。お客さんがはしごして寄ってくれて、「いい町ね」って言ってくれるんです。自分の住んでる町がいい町って言われてるって、嬉しいですよ。姫路に帰ってきて良かったです。けど、もうちょっと稼ぎたいかな。

 

◆篠原玲子(しのはられいこ)さん/「あさのは商店」店主
姫路生まれ・姫路そだち、姫路→大阪→徳島→姫路。肌の弱い自分が必要なものを近くで買えるとうれしいなーと、下着や洗剤などの肌にやさしい日用品を扱う「あさのは商店」を営む。イベント出店や出張販売も。趣味はウクレレ、縫い物、言葉。
https://www.asanoha.net/

場所はこちら(「城の西まぐまップ」googleマップに飛びます)

 

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聞き手:宮下寛美/図書館スタッフ
撮 影:宮下寛美/篠原玲子
編 集:二階堂薫/コピーライター